工業大学に通って2年目の頃、このまま大学卒業して一般企業に就職、一定の給料を貰う生き方は自分の人生として面白みがないなと感じたんです。じゃあ面白い人生になれる仕事って何があるんだろう?って考えたとき、祖父が趣味で飼ってた牛を思い出したんです。
祖父に相談すると、「この仕事はもうお前の腕と頭次第や。儲かるも儲からんもお前次第でできる仕事や。1+1=2じゃないぞ。一生勉強や。」と言われて。自分でお金を生み出せる職業があると確信し、大学を2年で中退。牛飼いになる決意で地元に帰ってきました。
僕が牛飼いになることは、祖父以外は猛反対でした(笑)。休みのある仕事でもないし、やっぱり厳しい仕事っていうのもあって…。反対はありつつも、実際に自分がやろうとしたときはもうみんな応援してくれていました。
地元に帰ってきて、1年間祖父のもとで働いてから、牛の勉強と人脈作りのために一度外の世界も見ようと、宮崎大学畜産別科っていう1年間研修メインで勉強できるところに入学しました。卒業後に牛飼いを本格的にスタート。その当時はやる気しかない!という感じで、若気の至りですごい失敗もしましたね(笑)。
たとえば自分に技術がない上に自分の理想とする子牛を育てられず市場で高く評価されなかったり、出産の対応が技術不足で何頭も死なせてしまったり…。そういう失敗をずーっと繰り返してきました。
失敗を失敗で終わらせないために、対応策を獣医師にレクチャーしてもらいながら、今でも対策や改善を続けています。
困ったときに一番頼りになるのは牛飼いの仲間です。時代や環境とともに牛の管理法も変えていかなくちゃいけない。その中で同じような悩みや失敗を経験した先輩牛飼いの方に教えてもらっています。やっぱり同業者っていうのは頼りになります。牛の場合4、5年くらいで血統が変わってくるので、どんな牛が今市場に出てきているのかとか、技術的な面なども相談しています。
愛媛には同業者が少ないので、宮崎、鹿児島、長崎など離れた土地の同業者たちと頻繁に連絡を取り合い、今の状況や問題点などをお互い情報交換をしています。宮崎大学にいた一年間の経験は一番大きいです。SNSで生産者自らが作ったグループがあるんですけど、どこかの組織とかいうのはもう全く関係なく「牛さん友達」というような集まりで、生産者が主催して交流の場をもっています。
種牛を飼ってる人、大型の畜産農家、繁殖農家など一同が全国から集まる交流会が年に何回かあるのですが、そういうところに参加し直接お会いして、またそこから人脈を広げていく、といった感じです。牛は今、新規でやろうと思ったら莫大な費用もかかるし、なかなか難しい。ただ、高齢化で牛をやめていく農家さんも多いんです。
そういう空き牛舎を借りて、1頭でも2頭でもいいから、兼業農家として他で働きながら、牛を少し飼いながらやっていけば生活もできると思います。大変ですが牛で生活しようと本気で思うのなら、それに向けて少しずつ規模を大きくしていけばいい。
今後この仕事をと考えている人がいたら、自分がやれば返ってくる仕事なんで、もうとにかく命と向きあって一緒にいいお肉をつくっていきましょうと伝えたいです。
笑顔になれる瞬間といえば、やっぱり出産の瞬間ですね。元気に子牛が産まれて、お母さんのおっぱいをしっかり飲んでいる姿を見たら「あー、よかったなー!」ってホッとして、笑顔になります。あとは、池田牧場生まれ、池田牧場育ちのお肉が欲しいという方に食べてもらって、美味しい!って笑顔になってくれるのを見る瞬間は最高ですね。自分が育てた牛、その牛を通して、うちの牛を買ってくれる購買者や消費者、みんなが笑顔になってくれているのが一番です。
家族の理解と協力も僕の笑顔を支えてくれています。嫁さんに「俺が牛飼いの仕事をしていること、どう思う?」と聞いたら「誇りに思うね」って言ってくれて。小学5年生の長女が「うちの自慢はお父さんが池田牧場、牛を飼ってることなんだ」っていうことを言われたときは、特に嬉しかったです(笑)。
将来は生産、加工、販売まで一貫して販売する体制を整えたいです。目標はすべて一貫して行う6次産業化。牛飼いも高齢化で後継者もいない中で、相場がどんどんうなぎ登りで高くなってきているんです。自分が生産、加工、販売まですることによって、最高級と言われる黒毛和牛をもっとリーズナブルな値段で消費者に食べてもらえるようになる。
牛はお金になるまで時間がかかるので、資金繰りなどの面でも簡単にはいきませんが、一つずつハードルをクリアしていこうと計画しています。