もともと実家が農家で、父が河内晩柑を栽培していまして、長男ということもあり家業を継ぐ形で就農しました。他にやりたいこともあったんですけど、とりあえず農業やってみて、それからダメだったら考えようと。
僕が就農した当時はみかんの価格が低迷していた頃で、親戚は「そんな状態なのに息子に農家させていいのか?」と言っていて、親も「あれっ、弱ったな」と答えていたのを聞いてしまって…(笑)。あれ?大丈夫かな?と思いましたけど(苦笑)。できるだけやってみようと自分を奮い立たせて、今まで頑張ってきました。
就農当時は、コンパクトな経営で仕事も趣味も頑張ろうと思っていたんです。そんな折、海産物が豊富で有名な町・愛南町で水産業がまさかの低迷…。
たくさんの真珠業者さんが廃業され、うちで雇ってくれってことになりまして。はじめは忙しいときだけアルバイトで来てもらっていたんですが、その人たちにも生活もあるし、年間雇用しなくちゃいけないと。
どうしたらいいかと考えたとき、河内晩柑は収穫期が長いので、年間雇用するのにはすごく向いている品種だと思い、思い切って数を増やしました。
就農して29年目を迎えましたが、楽になったなと感じるようになったのはこの5、6年くらい。それまではずっときつい時代が続きました。やっぱりみかんが高く売れないのが一番の問題で、それに輪をかけて自然の災害、年に1度2度ある厳しい寒さでみかんがダメになるとか、10年に1回は大きな被害を受けまして。自然の厳しさと市場の価格的な厳しさで挫折しそうになったこともありました。そんなとき、妻が他の仕事に出て経済的に助けてくれたのですが、農業経営していくうえでもすごく支えになり、本当に感謝しています。
一番失敗したなと思うことは、味を追求するあまりちゃんとしたみかんができず、1シーズンでものすごい赤字を出したことですね。今は収穫量や味すべてをバランスよくというのを大事に思い取り組んでいるところです。ただ、1年に1回しか収穫できないものなので、なかなか変えていくことができにくい。
先輩に聞いたり、横のネットワークを多くしたり、どういう状態だとどういうのがとれたっていう情報を集約して、みんなで共有していけるように取り組んでいます。温故知新というのは月並みですが、やっぱり長い間農業をされている方はいろんな知識を持ってらっしゃるので、真摯に受け止めながら新しい知識も取り入れるようにしています。
正直、就農して経営し続けることは簡単ではないですけれど、努力した分は必ず返ってきますので、農業を志す方はもう躊躇せずに、思い切ってこの世界に入ってきてほしいと思います。
28歳の頃、既存の出荷を100%やめ、一から新たに販路を組み立てたんです。販路ゼロの状態から、自分の手でポストにチラシを投函し、余裕があるときはみかんを持って一軒一軒営業に回ったりして。そんな中、新聞やテレビなどメディアの方が取り上げてくださり、会社単位でサポートしてくださる方も増えまして、徐々に販路を広げることができました。
その結果、現在は全国で約3万人のお客さまと取引させていただいています。うちは出荷の7割をエンドユーザーに直送していますので、ダイレクトに声が返ってくるんですよ。すごい美味しかったとか、子どもが喜んで食べてくれるとか、なかにはみかんの絵をはがきから溢れるほどいっぱいに描いて送ってくれることもあります。
そういった一人ひとりのお客さんの声が嬉しくて笑顔になれますし、仕事の大きな励みにもなっています。だからこそ、自然の厳しさに打ち勝って自分の思い通りの美味しいみかんを作れたときには、最高の笑顔になれますね。
今、販路がすごく複雑化して生産だけでは利益が出せない状況が続いてるんですけど、やっぱり農業者としては良い物を作った人が正当な対価を得られるよう、流通含めそういう仕組みを作っていくのが僕らの仕事じゃないかなと思ってます。
農業を通して会社を運営する中で、優秀な社員はやっぱり必要ですから。うちは働く人の待遇をもっと考えたくて法人化に踏み切りましたが、いまは農業界の中で一番待遇が良いと言われるような会社にしたいと思い、頑張っているところです。