
えひめ農林水産アンバサダー
寺尾 奏周
さん
明るく笑顔あふれる寺尾一家。家族みんなで協力して、先祖代々引き継いでいる『美味しい柑橘の育つ山』を守っています。
活動地域:
四国中央市土居町
就労理由:
家業を継ぐかたち

ある1日のスケジュール
面積
6ha
設備
動力噴霧器
乗用草刈り機
(除草剤を極力撒きたくない)
スピードスプレーヤー薬を噴霧する
ショベルカー
ユンボ
雇用
自営業(父、母、妻、自分)
収穫の繁忙期は、親戚にお手伝いをしてもらう
「100年以上続く、柑橘農家の6代目!」
就業のきっかけを教えて!
自分は長男なので、幼い頃から「いつか農業をするのかな?」とぼんやりながらも考えていたと思います。
高校生になると、親身になって関わってくださった恩師への憧れから「学校教員になりたい」という夢を抱くようになりました。
就農と教員、どちらの可能性も選べるように、大学は農学部へ進学。
大学在学中のある日、両親が「奏周の進路次第では、徐々に畑の縮小も考えていかんとね。いずれ、夫婦2人で管理するのは厳しくなってくるから」と話しました。
その言葉を聞いて「じゃあ、農業をやろうかな」と思ったのです。
先祖代々続く、見慣れた柑橘畑の風景が変わってしまうのが、ちょっと寂しかったのだと思います。

就業までにどんな準備をしてきた?
柑橘の育て方や収穫の仕方などは、両親に叩き込まれました。
5代目の父親から『責任園地』を持つことを提案され、両親と一緒に手入れする畑とは別に、自分だけで管理する園地を持つことに。
両親を手伝えばお給料が手に入ると考え、向上心の無い状態でダラダラと仕事をして欲しくなかったのでしょう。
現在でも責任園地を持っていて、自分なりの方法で育てて収穫した柑橘は、自分で販売先を探しています。
愛媛県の農業技術員さんに僕の師匠的な方が居て、その方からも多くのことを学びました。
いつも「その作業は何のため?」といった問いを投げかけてくださる方で、僕自身に気付きを促す指導のスタイルでした。
その時に培った、本質を捉える思考の流れは、今でも役立っています。

就業してからのプライベートの過ごし方は?
子どもが成長し、一緒に楽しめる遊びが増えて嬉しいです。
曜日で休みが決まっている仕事ではないので、農閑期にしっかりと遊びたいですね。
子どもが寝静まってから、晩酌を嗜んでいます。
「大好きなお酒に、自分の育てた柑橘を組み合わせると面白いのでは?」と考え、2025年からお酒と相性の良い『濃縮ジュース(ピュアドロップ)』の販売を始めました。
「美味しいお酒が飲みたい!」という一心で、毎晩のように飲みながら研究を重ね、3つのフレーバーが完成!
一番人気はレモンで、料理にも使えるうえに、レモンサワーにすると最高です。
甘平は甘いカクテル用にぴったり。
八朔は、さっぱりした後味になるとご好評いただいています。
趣味と実益を兼ねたこうした試みは、今後も続けたいです。
これからの夢は?
地元の子どもたちに、美味しい柑橘が育つ土地であると知って欲しいです。
先代から始まった、学校給食で味わってもらう取り組みは、現在も続けています。
職業体験学習では、地元の学生さんを積極的に受け入れることも増えました。
地元の学生さんを前に、外部講師として授業をする機会も多くなり、今年で5年目です。
形は違えど、いつの間にか「教員になりたい」という夢が叶っていました(笑)。
授業をきっかけに、農業が職業の選択肢の一つになってくれると嬉しいですね。
近年、地元の若手農家が集まり、PLOWMANという組織が立ち上がりました。
地元農家の横の繋がりが広がるのは、嬉しいし、頼もしいことです。
ここで就農したいと考える仲間を、上手くサポートしていきたいですね。


昔、この地域の山際は『一面がミカン山だった』と聞いています。 抜群に水はけの良い砂岩の地層で、甘くて美味しい柑橘を育てるのに適しているからでしょう。 柑橘の産地だった名残りは、お祭りで羽織るオレンジと緑の『ミカン色』の法被に表れています。 地元の法被が「どうしてミカン色なの?」と疑問に思う子どもが居なくなるくらい、また山際に柑橘畑が広がると嬉しいですね。 1人でも多くの子に、自分の地元で育つ柑橘の美味しさを知ってもらい、「自分でも育ててみたいな!」と思ってもらいたいです。