情報学部のある大学を卒業し、サラリーマン時代はメーカーでシステムエンジニアをしていました。電話会社などに設置する大きいコンピューターの設定や設計、ネットワークのデザインをする仕事だったので、一般の消費者とは離れた大きなマシン室で一日中設定情報を組み、オフィスで設計の打ち合わせ。特に誰かに感謝されることもなく…そんな仕事にやりがいを感じられなかったんです。
あるとき一週間の休暇をとって、実家に帰って農業の手伝いをしたのがいちごを仕事にするきっかけでした。大学卒業して就職するまで、僕は家を継ぐつもりなく、親も自分の代で終わると思ってたんだと思うんですけど。
実家に帰ってきて仕事を始めてみると、いろいろな発見がありました。不安より期待の方が大きかったかな。いちごを作るだけじゃなく、ラベルやパックを変えたり、ポップを付けて売ったらお客さんの反応が違ったりして。作業自体はすごく大変なんですけど、販売の方がすごく面白くって。売り方を色んな販売先の人と考えたりするのがすごく好きだと気づきました。いちご栽培に関しては全然ノウハウもなかったし、学生の時も勉強したわけじゃないんで、基本の「き」からのスタート。
最初のうちは両親も元気で、栽培の方は基本的には両親とパートさんが一生懸命やって、僕が一生懸命営業に出かける流れだったんですけど、やっぱり両親も歳をとり、栽培の方も少しずつ手が追いつかなくなってきて。営業活動の成果が出て販売先はあるんですけど、そこに持っていくものがなかなか用意できなくなって…。
栽培技術の方の問題が、最近になって出てきた感じです。
鬼北でこだわって作ったいちごには独自性があるので、販売ルートも含めて今の仕事は面白いですね。今は道の駅やスーパー、洋菓子店、東京の有名なフルーツパーラーなどに納めています。取引先には国外に輸出する会社もあるので、国外にも流通しています。春頃になるといちごの収穫量が伸びるので、余剰分は青果市場へ出荷ですね。「あまおとめ」や「レッドパール」っていう愛媛県独自の品種を、高設栽培で特徴を出して作っています。
県外に持っていくと、愛媛県って柑橘のイメージがあるので、「愛媛でいちごなんかできるの?食べてみたい!」って話題になりますよ。仕事は大変ですが、システムエンジニア時代に比べると楽しいです。あの頃は皆が寝静まった夜に仕事をしていたので、僕にはそっちの方がきつかった。今は明るい時間作業して、夜は寝る (笑)健康的な生活です。
地域には、高齢の方でもまだ働きたいって方がいらっしゃいます。重たい物だと若い人が労働力になってくれないと厳しいのですが、いちごの場合は丁度いい軽作業。高齢になっても充実した仕事に携われる点でも、いちご栽培は収穫から選別まで地域の方と一緒にできる、いい仕事だと思います。
農業は年に一回しか仕事ができないんで、僕があと30年やるとしても、あと30回しかできない。着実に一年一年をやっていくことが長く続けて行くために心がけていることです。
自分が作った作物を、経営していける価格で売り、来年に繋げるっていうことが一番大事。やっぱりそこをちゃんと考えて就農した方がいいと思います。
笑顔になれるときは、販売会をしている時です。
パーラーでカルチャースクールがあり、品種の説明をすることがあるのですが、僕が説明したことでお客さんに新たないちごについての色々な知識が増えて、喜んでもらえたときは笑顔になれますね。僕が作るいちごに関わる人は皆、笑顔になって欲しいなって。
農家って、ハウスも自分で建てるって人もけっこういるんです。でもそれを全部自分でやると本来の栽培とか、農家が本当に手をかけなければいけないところに手が回らなくなるので、できるだけ農家の本業じゃないところは連携して任せていきたい。地域の中でお金が循環していくような関わりを広げ、地域全体が笑顔になっていければいいなと思います。
今後やりたいのは、いちごの食べ方の提案です。
例えば、野球見ながら生ビールみたいに、何かをする時に一緒にいちごを食べてみませんか?という新しいスタイルを今後作っていきたいです。いちごを食べるのって健康のためもあるけど、自分のライフスタイルだと思うんです。いちごはどこまでいっても嗜好品で、食べなくても死なないんで(笑)。
そういったこだわる人の生活のシーンに溶け込んでいけたら…
そういうの、ちょっと面白いでしょ?