前職は農業関係の団体に勤めていました。「有機農業始めませんか?」とか、「もっとこうしたら上手に作れます」という情報を持って農家さんに会いに行き、雑誌やホームページ等の取材をする仕事です。
そんなとき、すごくやる気があって成果も実績もあげている若手の農家さんに取材したのが転機になりました。農業を普及させるための情報は持っているけど自分ではできないというジレンマもあり、農業を「いつかやりたい」が「すぐにでもやりたい」という気持ちになって、就農を決めました。
僕は思いこんだらやってしまう性格で(笑)、転職したときは奥さんも子どももいましたので、家族が食べていけるかという不安はありました。収穫できるのがお米だったら、春から始めて半年。お金に換えようと思ったらまた半年。はじめて3年くらいはこのぐらいの売り上げで、半分くらいお金が残るかなとざっくりと考えていただけ(笑)。
だからなのか農業をやると言ったとき、両親はすごい反対しました。「食っていけないと思うよ」と。でも、楽しいんです!やりたくてはじめた仕事なので。ただ、思っていた以上に仕事が多い。田んぼ以外にも、水路の掃除とか草刈りとか、それに付随する作業のほうが多かったかな。
でも、農業は基本的に自分のペースで進められるのが気楽だし、誰かのせいにすることなく、やった分だけの結果が自分の中で完結する仕事というのがいい仕事だなと思います。就農にあたっては、祖父の田んぼがほんの少しあったのですが、現在は借りて広げている状態です。父の知り合いがいる段階で地元に戻ってきているので、そのぶん田畑を借りやすかったのは、助かりました。
宇和の男米プロジェクトをはじめて3年目になりました。田力米がはじまって、まだ数ヶ月。最初はお米を売るためというより、宇和のメンバーで食べ比べみたいな形で一緒に協力して売ろうと始めたんです。そのときに男4人だったんで男らしくいこうということで「宇和の男米」というチーム名で活動をはじめました。
その頃、商品パッケージのセミナーに参加しました。特長ある米作りをして宇和のお米をブランド化したいなという思いもあり、1年近くデザイナーの方とやりとりしながら、メンバーの中でも色々話をして、「田んぼで力を発揮する」「田んぼから色んな価値を生み出す」というのも男の仕事だというコンセプトができあがり、このロゴマークと、ロゴマークをメインにしたパッケージができました。
田んぼを平らにならすということも男の仕事。そもそも、そういう意味で田んぼに力と書いて「男」という漢字になったんでしょうけど。それ以外に、今ある田んぼを継承していくってことも僕たちの仕事だと。お米以外にも麦とか大豆を作っているメンバーもいるのでそれらを含めた状態に、加工品も含めて関わっていきたいなと考えて立ち上げました。
パソコンの扱い、人との応対の仕方など色んな社会での仕事や、社会人として一般的なことを経験しているというのは農業にも非常に役に立ちます。ほんと農業って、総合格闘技じゃないですけど(笑)なんでも役に立ちます。
お客さんと接して、「美味しかったよ」と直接声が聞けるときが一番笑顔になれます。僕のところは7割8割が直販で、あと残りが松山の有機生協さんというこだわりの農産物を扱っている生協さんに卸しているんですが、ハガキとか電話とかで感想を教えてもらっています。
お客さんにとっては美味しいお米を届けることが笑顔になる瞬間でしょうし、借りている田んぼを綺麗に管理している僕たちの思いが借り主さんに伝わったときとか、誰かの笑顔の役に立ってるのかなと思います。作物も、人との出会いも一期一会。その瞬間でしかできないことを大切にしたいと思います。
お米作りに限らず、人間が生きていく上では食べないと死んでしまうわけですから、その命の根っこの部分を担っているっていうのはほんとにやりがいがあります。農業の「日が昇って沈むまで仕事して休む」といったお日様と一緒のサイクルで生活するスタイルは健康的で、人間として自然なことだなと思います。もちろん向き不向きあるんで、就農したい人は1回試しにどこかでやってみて決めたほうがいいと思います。
生産から消費までカバーできる何かを企画していきたいですね。いま、趣味的にバーベキューをやっていますけど、お酒も好きなので、その2つと地元を絡めてお客さんを呼べるようなところまでも関わっていきたいなと思います。
いま、僕たちが作ったお米で、お酒も作っているんです。地元の酒蔵の方に協力いただいて、1月末くらいには麹を仕込みました。継承するという意味では、次の世代の方に繋げていきたいという思いもあるので、インターンのように研修生も含めて、「一緒にやっていく仲間を作る、育てる」ということも取組んでいきたいなと思っています。