僕と家内は京都生まれ京都育ち。もともとは建築業をしていました。いわゆるバブル時代の後半組なのでそれなりに仕事は儲かっていたし、夫婦共働きだったから収入も充分あったんです。
でも30歳になったときに、自分の人生、これでいいのかなと…。お金には苦労ないけれど、何の楽しみもなく淡々と過ごす日々が嫌になって。海外旅行でいろんな島に行き、いずれは島暮らしをしてみたいと思っていたとき、家内がレモンを取り寄せていたのをきっかけに岩城島に行ってみようと思いたったんです。コンビニもない、信号もない、何にもないところが気に入って、ここで働くことを決めました。
移住を決めたのが34歳の頃。役場に行って「農地を借りてここへ住んで農業したいんですけど」って言っても、対応はイマイチで(笑)。
当時の僕、ロングヘアーに茶髪だったんでなおさら怪しかったです。島の人たちが何十年もやってるしんどい農業を、やったこともない人ができるわけがないと言われました。ならば!とまず移住して、農家の納屋に住みながら農家さんの手伝いをして農業を学ぶところからスタートしました。
岩城は「青いレモンの島いわぎ」と銘打って、全国で一番早くレモンに携わり、既にブランドになっている。別の土地でレモン作っても二束三文だけど、ここなら岩城のブランドが付くからそれなりの単価で売れ、生活できるぞっていうのを感じていたので、移住や就農には全く迷いはなかったです。
そういった面でもやはり地域のブランド力っていうのは産業にとっても今、必要なんだろうと思います。
最初に「農業は無理」って言われるほどの超どん底から、ゼロからどころかマイナスから始めているので、しんどいとか辛い気持ちは全くなかったです。すぐ使えそうにないジャングルみたいな土地しか貸してもらえなかったので、ただただこのジャングルを倒すんだー!みたいな勢いはありました(笑)。
ある日、農家さんのお手伝いに行った時、みかん山の道でおじいさんとおばあさんが軽トラックの運転操作を誤り事故を起こし、積み荷の大量のみかんが道端にゴロゴロ転がっていくところに遭遇したんです。僕らがおじいさんを助けたり、道路に転がったみかんを全部拾ったりしていたら、おばあさんに「こんな道路にまで落ちたみかんは売れんから全部あげるわ」って言われて(笑)。軽トラいっぱいみかん貰っても全部自分では食べられないし、地元の京都に持っていこうと考えたんです。
移動中はずっと、どんな人が買うのか、どんなところなら売れるかということばかり考えていました。京都では保育所や工業団地などに行き、「転がった訳ありのみかんやけど味は美味しい」と事情を説明してバッと軽トラのシートめくったら、なんと即完売。ちゃんと想いを伝えたら、物って売れるんだと実感しました。
そうやって農家さんがみかんをくれたり、ジャングルを切り拓くパワーショベルを安く売ってもらったり、僕らの農業はすべて人に助けられてるなと実感しています。
レモンなど農作物は一年かけて育てていくので、基本はあっても、やはり木を見て体で感じながらやっていく大切さも島の方に教えてもらいました。島のじいちゃんばあちゃんは、全員が僕たちの先生です。
みんなで今日あったことを話しながら、美味しいものを食べてるときが笑顔になれる時かな。朝は空気も澄んでいるし、夕日もきれいだし、雨雲が向こうの方から迫ってくるような雄大な景色もある。そういう自然の中で生活や仕事ができるところが幸せだと思います。
今はインターネットですぐ物を売り買いできるけれど、やっぱり顔と顔が見えるところで商売したい、という思いは強いです。
有り難いことに新規で取引したいっていうお問い合わせもあるんですけど、そのためにはまず岩城に来てもらうことをお願いしています。出荷の箱に詰めるときでも、おばあさんだったり、娘さんだったり、ご主人だったりを思いつつ箱に入れるのでは、気持ちの入り方が全然違いますから。
いま加工品は全部外注しているので、自社でできるように加工場をつくり販売できるよう、農産物の6次産業化にも力を入れたいです。理想としては、この岩城島の恵みをふんだんに使った商売をしていきたい。魚は獲れたてのものを漁師さんから直接買い、野菜は畑から収穫したものを使うような農家民宿をしてみたいです。
また僕らのように移住して就農したいと岩城に来る人の受け入れもやっていきたい。農家の人に限らずいろんな人との交流を、この岩城でいつまでもやっていけるような人生になればいいなって思います。