大学卒業後、故郷である今治市玉川町に戻り、両親が営む建設会社の事務職のかたわら学習塾を開いていました。
ある日その塾で「しっかり勉強をして、地元以外のもっといいところに就職しなさい」と親御さんがお子さんに話す姿を見たとき、将来子どもに帰ってきてくれと言えない町のままでいいのだろうか?と思いはじめて。
若い人たちが住むために、町全体が元気になる方法はないかと考えてたどり着いたのが「農業で新しい特産品をつくる」という仕事でした。
若い人たちがこの町に住むためには、働くところ、つまり収入がないと暮らしていけない。活気ある町には仕事が不可欠なんです。新たに企業の誘致をするのは難しいけれど、
農業ならここでも無理なく始められるのでは?と考えたのがはじまりですね。ちょうど『玉川湖畔の里』という小さな農作物の直販所が町営になる、というタイミングでもあったので、そこで目玉になる特産品を作って販売すれば、農業で町を元気にするチャンスがある!と思うようになりました。
その後、愛媛県からの紹介で、玉川町と風土がよく似ている長野県へ視察に行く機会があり、視察先で「玉川でもやってみよう」と新たな特産品にしたいと選んだのが、ブルーベリーとマコモタケとウドの3つ。はじめて作る作物はみんな試行錯誤の日々でしたね。
地名の「龍岡」にちなんで「フレッシュドラゴン」という部会を立ち上げ、みんなで協力して作り始めました。
玉川町は松山市に比べて3度ほど気温が低いので、寒暖差もあり、作物に虫もつきにくい利点がありました。この気候を生かして、みかんに比べて重さもなく高齢の人たちでも出荷の負荷が少ないブルーベリーとマコモタケの栽培がはじまったんです。
まずは販路のない状態からのスタート。ここにおいて欲しい、と思うお店に1軒1軒サンプルを紹介して歩くという地道な営業の繰り返しでした。ブルーベリーは同じ愛媛産でも海のそばでつくる品種と、雪が何度も降る玉川町でつくるブルーベリーでは味が違うんです。そんな品種の多様性が原因で失敗も多かったですね。
最初、ケーキ屋さんに「甘いブルーベリーいかがですか?」と私たちのつくる自慢のブルーベリーをおすすめしたら、「あんた素人やね。ケーキ屋に甘いブルーベリー持ってきても買わないよ。クリームが甘いんだから、ほどよい酸味がないと」と笑われたことがありました(笑)。
マコモタケは西日本でも栽培するところが少なく、特産品になりやすいと作り始めたんですが、認知度が低く思い通りにはいかなかったですね。みんなどうやって食べるかとか、どこを食べていいのか全然わからなくて。売り手も買い手も困って、おばちゃんたちもただ陳列するだけになってしまって…。
今では加工品にしたり使いやすくパック詰めをしたりと、様々な 工夫を加えています。いいものをつくることは一番ですが、用途をちゃんと把握し、おすすめする方法を考える大切さも学びました。そんな経験もありながら今、ようやく買い続けてくださる方が増えてきた感じです。
農業とはいえ、ひとつの企業。給料だって払わないといけないし、きれいごとだけでは成り立たない。でも、わたしたちは今後も、あっちもこっちもと販路を広げ、欲張ったりはしません。なぜなら町の特産品として育てるには、自分のところだけが成功し満足したのではダメだから。みんなが作ったものが売れないと、地域の特産品にはならないでしょう?
ものを作るという一次産業に対して描いている夢があるなら、農業は自分がどう動くかによってまだまだ可能性がある産業だと実感しています。新しい生き方をしたいという方にとってはやりがいのある大きな仕事ですので、ぜひ頑張ってほしいですね。理想だけを現実にしようと思っても、それは長く続けるのは難しい。常に試行錯誤しながら、やり続け、頑張り続けることだけが、失敗しないただ一つの方法だと思っています。
平成20年に法人化した『森のともだち農園』という屋号は、あの農園に行けば楽しい人たちがいる、ワクワクするところだという場所づくりをしたいという思いを込めてつけました。私のところだけがいいんじゃなくて、私たちとその周りのおばちゃんやおじちゃんたち、全部絡めておすすめしていきたいと思ったんです。
また、農家として収穫して出荷するだけでなく、子どもたちが集まってジャムをつくったり、ピザを焼いたり、川で遊んだり、野山を散策したり。体験教室やグリーンツーリズムのようなことも続けていきたいですね。自分が生まれ育った自然を体験していただきながら、ここは素敵な町だよねって言ってもらえる。そんな仕事をしていきたいです。