もともと家業を継ぐつもりで、とりあえず愛媛県内の大学に進学。そのまま松山の会社に就職したのですが、1年目にして長期海外転勤の話が出まして。それだともう実家に帰ってくるようにならんというのと、ちょうど結婚が転機になり、辞めて家業を継ぐために地元に帰ることを決めました。
大学に行くときには「いつかは帰って漁業をする」と決めて行っていたので、大きな迷いはなかったですね。家族は、せっかく就職もしていたのにもう戻ってくるのかと多少は残念がっていましたが、弟や両親、特に創業者の父は、言葉には出さなかったけれど喜んでいたと思います。
就業当初は、とにかく一生懸命やるしかないなと。中学校のころには船に乗せてもらい市場へ行く手伝いは多少していたので、ある程度漁業という仕事の内容はわかっていたつもりでしたが、養殖に関しては初めてだったので苦労しました。養殖に関する特別な勉強をしてこなかったので、もうすべてが見よう見真似というか…。養殖をやらないかと勧めてくれた方に電話で聞いたりとか、現場を見に行ったり、試行錯誤でした。
養殖自体が初体験なもので、創業者である父と長崎から三重まで、さまざまなところへ視察に行きました。大変ではありましたが、仕事について困ったことは先輩方や業者の方々に聞けば親切に教えてくれましたし、機械とか電気系とか壊れたときには、工学部だった経験を生かし、自分で比較的簡単に直せたりするのは良かったかな。
漁業のやりがいですか?大いにあります。僕は毎日充実しているのか、1日が終わるのがとても早いです。もちろん漁によってですけど、5時台に起きて、仕事が終わるのは早ければ夕方5時に終わったりとか。遅ければ…ちなみに昨日は夜8時半ぐらいでした。漁が終わっても、それから事務作業をすることもあります。長く続けた今でも余計なことを考えることなく、一生懸命、その日、その年無事終わればいいなと思いながらやっています。
水産業をしていると生き物相手の仕事なので、休みの日でも見に行ったりしないといけないのが大変なところでしょうか。家族も理解してくれていますし、結婚してもう25年になりますけれど、長期の旅行は2回ぐらいしか行ったことないです。
それも1泊、ほとんど日帰り。そういった生活リズムでずっと過ごしているので、それが当たり前になっています。逆に2、3日出荷がないときは暇で暇で、何したらいいんだろうって思います(笑)。
自然相手の仕事なので、台風や赤潮がきたり、病気が出たりと困難が多いですが、それらを無事克服できたときがほっと笑顔になれる瞬間です。トラブルが起きないように日々点検しているんですけど、まぁ、自然だからもう避けようがない。つい先日も、いかだが折れまして。時化の具合で、魚が逃げていなかったのが不幸中の幸いでしたが…大変でした。
販売のルートは、しらすは東京・築地がメインでやっていまして、そこはずっと変わっていません。養殖の方は、そこも最初の方からほぼ一貫して、あちこち業者を変えず、信頼したところにおまかせでやってもらっています。
お客さんからは、いいときしか感想を聞かないものですけど(笑)。多くの人から、しらすを「獲れるまで待っとるから、ずっと出してよ」というのはよく言われます。そういうのを聞くと、やりがいがあるなと思います。僕の仕事でたくさんの人を笑顔にできてるのかな、と思います。
水産は体が資本なので、体力自慢な方や、日々筋トレしているようなドMな方大歓迎!という感じです(笑)。養殖で大切なのは「逃がすな、殺すな、とられるな」という3原則があるのですが、極めればとてもシンプル。漁業は漁に行けばすぐお金になる仕事なのでやりがいがあります。船と網と、釣りでもいいんですけども、「今日獲れば明日お金になる」というのが一番のポイントだと思います。
今までは魚が獲れる限り休みがないっていうのが漁師の世界だったんですけど、最近はもう漁があっても出ないとか、市場休みの前の日は出ないとか、週に1回は必ず休みをつくるような流れになってきています。やっぱりこぞって魚の獲り合いをしても、少ない量を毎日獲るか、ためて獲るかって結局は一緒なんかなって気がするんです。従業員からすると休みもほしいでしょうから。
ここ最近、えさの高騰の影響や魚価の安さで、養殖業界に元気がなく縮小傾向にあるので、このままじゃいかんなと思っています。やっぱり食料の生産ってことで、安定供給は考えていかないと。
そのために飼料とか、効率化とか、魚価の安定対策をどうにかしたい。とはいえこれは、僕だけではどうにもできないことなのですけど。せっかく愛媛は鯛の養殖日本一として頑張っているので、愛媛県の今後のPRなどにも期待しています。